講演会 講演会

 

日 時: 2018年10月13日(土) 14:00〜15:30
場 所立教大学新座キャンパスN8B1教室(ライブビューイング会場N852教室、N854教室)
講 師
 
長嶋一茂さん 宇賀なつみさん
 
参加者

N8B1教室 中学校250名、高校133名
ライブビューイング会場 中学校35名、高校88名

 
司会 神津副会長

お祈り 金山チャプレン

挨拶 セントポール会 小林会長
本日はご多用のなか、セントポール会主催の講演会にご参加くださいまして、誠にありがとうございます。初めに、今回の講演会につきまして、我々の想定をはるかに超えるお申し込みをいただきまして、もろもろの変更事項、また至らぬ点がございましたことをこの場をお借りしましてお詫び申し上げます。また、会場のご対応をいただきました学校関係のみなさま、本当にありがとうございます。
さて本日の講演会でございますが、毎日テレビでは見ない日がないというほど多忙にしていらっしゃいます長嶋一茂さんをお迎えいたしました。言わずと知れた本校のOBでいらっしゃいます。このような講演会をお引き受けくださるのも今回が初めてということでございまして、非常にうれしく思っております。また、今回のテーマは本当にテーマが決まっていないということで、これからお二人にお話しいただくことが非常に楽しみでございます。いかにも自由で一茂さんらしいスタイルではないかと思っております。進行にはテレビ朝日の看板アナウンサーであります好感度NO.1の宇賀なつみさんにお願いいたしました。お二人は番組で毎週、共演されておりますので、息の合ったトークが聞けるのではないかと楽しみにしております。それでは短い時間ではございますがお楽しみいただければと思います。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

挨拶 村上校長先生
みなさん、こんにちは。 私もここの卒業生ですが、ここの学校の卒業生は本当に幅広く様々な分野で活躍しております。その中でも長嶋一茂さんの学年の卒業生には、あの人も、この人もという形で街でも会うし、産業界でも会うし、さらに長嶋さんのようにだれもが知っているような人たちを生んだ特筆すべき学年でもございます。長嶋さんの話を聞いていただきますと、たぶん、私共の学校がどういう風に人を育てようとしているのか、またそれがどういう風に人生で花を開くのかというのを感じていただけると思います。今日は長嶋さんに講演を引き受けていただきまして、本当にありがとうございました。それではみなさまどうぞお楽しみいただきたいと思います。ありがとうございました。

講演内容 長嶋一茂さん、宇賀なつみさん
 
宇賀さん:本日はみなさまたくさんお集まりいただきありがとうございます。今、この会場以外の2会場にご挨拶をしてきました。今日は打ち合わせなしで本当に「テーマなし」で自由にやらせていただきます。
本日、進行役として呼んでいただきました、テレビ朝日アナウンサーの宇賀なつみと申します。今、「羽鳥慎一モーニングショー」という平日朝8時から10時までの2時間の番組で一茂さんと共演させていただいております。立教大学出身で、大先輩の一茂さんとのお仕事をいただき本当に光栄で、母校や後輩たちに少しでも何か恩返しできればと思ってやってきました。

長嶋さん:私はしゃべれるような立場でもないし、この間ノーベル賞を取った本庶さんのようにテーマが決まっているわけでもないのですが、私は来年53歳になり、いままで図々しく生きてきて、人間というのは図々しく生きていくものだし、したたかに生きていくものだと私は思っているので、学校の先生が言わないようなこと、対極のようなことを言う可能性があるかもしれません。
今日は、本当にテーマがないので私自身の生い立ちを話します。せっかく久しぶりにここに来たとはいってもこの間、夏に徳光和夫さんと番組の収録で来て、懐かしいと思いました。私は高校と大学が寮で、この敷地内に7年間いました。その時は冷暖房も何も付いていませんでした。高校の頃はチャペルに毎朝、先輩たちを抜いてダッシュでお祈りに来ていました。お祈りと感謝は大事です。
高校3年間、寮にいて、寮の食事が3回出るのですが、僕は1日7食、食べていました。寮のご飯を朝に食べて、高校に出てきて1限目が終わったら菓子パンを食べて、2時限目が終わったらおにぎり、昼休みに寮でランチを食べて、練習前に食べて、寮で夕食を食べて、夕食後のコンプリンの後に門限はあったのですが抜け出して食べていました。コンプリンとはお祈りです。7食食べないと野球が出来ないのです。ですので、授業中はずっと寝ていました。怒った先生がいないのはやっぱり、野球で自分がこの立教高校に還元しろ、という暗黙のお互いの共有感があったと勝手に私の都合でそう思っています。
私の高校時代の恩師は、今はいらっしゃらないのですが、柔道の先生です。1964年の東京オリンピックの時、当時は柔道が無差別で、体が60Kg台で大きくないのに全日本の候補に入っていたぐらいむちゃくちゃ強い方なのですが、その先生にはかなり厳しく指導を受けました。今はパワハラとかありますが、でも私はその先生に対してものすごく恩義がありますし、「ずっと寝ていては、ほかの先生方にも示しがつかないだろう」「野球部だからそれでいいのか」と唯一私のことを怒ってくれたその先生でした。その先生と私はいまだに年に1、2回は食事をしていて、「先生ありがとうございます」と思います。それは愛情があったからです。
私はこの講演会のように初めてお会いする方から刺激をもらって、自分の生きる糧にしています。
私はもう老後に入っています。もう5年ほど前に終活を終えています。老後っていろんな考え方があると思いますが、明日どうなってもいいという自分を5年ほど前に作ったのです。だから今、好き勝手なことを言っています。

宇賀さん:どうやってそういう自分を作ったのですか?

長嶋さん:私が野球を引退したのが30歳です。私は戦力外通告をおやじからされて、明日どうなるか分からない、という世界になったのです。小学校からずっと野球をやってきた人間が、バットとグローブを取られるのは、子どもがおもちゃを取られるみたいな感じです。お金の話になりますが、ドラフトで高額な契約金をいただき年俸も相当額いただいておりました。そのもらっていた年俸が明日からなくなるとなったときに「不安定な世界なのだ」と思って、じゃあ私は何をして稼ごうかと考えたのです。マンションも見栄を張って家賃の高いところを借りていたし、年俸より高いポルシェに乗っていましたし。
私の同級で山本昌という左のピッチャーがいて、2〜3年前まで現役でしたが、私も本当は自分の夢とかビジョンは、野球をずっとやってどこかの監督をやることでしたが、それを22年前に絶たれました。
でも、明石家さんまさんからのお誘いがあり、当時、さんまさんが抱えていたレギュラーがたくさんあり、そこからお仕事をいただきました。週に1〜2回さんまさんと番組で会いました。そういう縁があり、自分には今の世界しかないと思えるようになりました。やっぱり、野球をやめた時の恐怖感があり、少なくとも二人の娘たちが成人するまで、蓄財、財産で今の世界から絶たれても生活できるというのを確立、成立させたのが5年ほど前です。だから、そこからは老後なのです。そこからはすべて遊び。テレビ局での最初の打ち合わせでは、「とにかく私を楽しませてください。私は楽しまなきゃいけないのです」というところから始めます。 若い子たちには夢や期待、ビジョンがあると思うのだけど、私は一切ないです。感謝しかないです。
宇賀さんを含め、みなさまとお会いすることに毎日感謝します。常に感謝です。明日、生きていられるという確約はないので、だから常に『今』なんです。今、どうやって生きていくか、ではなく、どう楽しむか。その繰り返しを1秒ごとやっていると言っても過言ではないです。だから今を楽しみたいです。

宇賀さん:でもやっぱりみなさん、私もそうですが、過去を振り返って悩んだり、将来が心配になったりとか、それこそ不安でお金が使えないとか、みんなそう思いますよね?

長嶋さん:若いうちに不安とか悩みがあるのは当たり前。私もすごくあったし。だから30歳で野球をやめたときに不安、悩みがたくさんありました。野球をやるときは、例えば落合さん、原さん、もっと上をいくと王さんやうちのおやじとか目標の人たちがいたけど、この世界には目標の人はいないし、憧れの人はいないわけです。さんまさんは恩人で師匠ですが、あんなすごい人は目標にできないです。

宇賀さん:確かに、一茂さんは唯一無二のポジションですよね。

長嶋さん:だから目標がいないわけです。自分はこの世界で5年経っても目標が見つからない、10年15年20年、いまだに何の目標も見つからない、これから見つかるわけがないと思っています。
私の希望とか夢は5年ほど前に45歳くらいで全部かなえました。プロ野球選手になるという夢、ドラマ・映画の主役をやる夢。なぜドラマの主役が夢なのかというと、小学校の1年生の学芸会での役が馬の脚で、顔も出ないし、セリフもなく、さらに、5本目6本目の脚でした。それを見たいつもは気丈な母が、すごく寂しそうな顔をしていたのを見て、ドラマや映画で主役をやればおふくろの寂しさを少しでも払しょくできるのではないかと思ったのです。
また、中学ぐらいに『ロッキー』という映画が流行りました。それを見たらすごく感動して「ロッキーになる」と言って、まず帰りの東横線のつり革で懸垂をやりました。次の日、学校へ行って机を8つぐらい集めてその上で片手腕立て伏せをしていました。シルベスター・スタローンは『ロッキー』の脚本を自分で書き、その脚本を映画会社に売り込みに行き、自分を主役にしないと脚本は渡せないと言って主役を勝ち取ったというエピソードを知って、そのときに映画を作りたいと思い、映画を2本作りました。
だから、夢は45歳ぐらいで全部かなえたので、今はないです。あとは老後をどう楽しむかです。後悔はないので、毎日感謝して、いつ死んでもいいように死の瞑想をしています。夜寝るときは、神様とおふくろにも感謝して、「ありがとうございます、明日もし目が覚めたらがんばります」と言います。朝、目が覚めたら感謝して「ありがとうございます、今日も起きられました。死にます」と死ぬ瞑想をします。死ぬ瞑想は具体的にイメージします。今日もベンガルトラに殺されました。トラは強いので、一発で僕の頸動脈をバチっと切り裂きます。動脈から血が出てきて、一気に失神します。そのあとトラが僕の五体をバラバラにして私はたっぷり死にます。それをだいたい2分ぐらいの間にやります。そうすると本当に自分の中で死んだ感覚になりますので、そこから起き上がると「あ、今日も生きているのだ」とこの感謝が素晴らしいのです。夜はお風呂に入って、真っ暗にして潜水します。息が切れそうになるまで、自分の生命の危機を感じるところまで、潜水します。そうすると「あぁ、俺はまだ生きている。ありがとう」となります。常に感謝です。それを4〜5年前からやっています。

宇賀さん:折角ですので、何か聞きたいことはありますか? あ、今、手が挙がりましたね。こういう時に手を挙げるのは大事です。

長嶋さん:こういう時に手を挙げる人は日本では少ないです。そういう教育をしていないんです。日本の教育は横並び主義です。出る杭は打たれる、出ちゃいけないという教育だけど、打たれる杭になる人もいないと、突出した人もいないといびつな社会になるのでそういうことは恐れないで。みんながみんな同じ方向を向くのは民主主義の国家に生まれて残念なことなので。

質問者1:長嶋さんがプロをやっていた時のことを聞きたいです。

長嶋さん:君がもし野球選手になりたいとか、監督になりたいのなら、自分の思った信念で動かないとダメです。周りから言われて相談して「そうします」というのをずっとやっていると、自分がグラウンドに立った時、自分が0.1秒で決断しなくちゃいけない時にそれができなくなるので、自分で判断、決断を瞬時にできる子になってほしいです。このためには、経験をたくさんするのがいいと思います。

質問者2:今、大学4年で、来年留学でシドニーに行くので、アドバイスをください。

長嶋さん:情報はもういらないから、自分で感じないと、五感で。そこから何かひらめくものがあるかもしれないし、カルチャーショックとかインスパイアされることがあると思うよ。そのためには常に行動すること。留学に行っても、部屋の中にいてはしょうがない。自分で行動をおこして、いろんなことを感じて、いろんな人とふれあって、刺激はたくさんあるよ。あと、語学は絶対に覚えてきた方がいい。英語を喋れるのは大人になってもずっと武器になります。

長嶋さん:今日は私の老後に付き合っていただきありがとうございました。