クリスマス礼拝 クリスマス礼拝

 
第1部 クリスマス礼拝

日 時: 2018年12月15日(土)15:00〜15:50
場 所:立教学院聖パウロ礼拝堂(立教新座チャペル)
 
司 会:神津 副会長
受 付:学年委員長 伊藤、田中、中嶋、鈴木(真)、金子、水野
出席者:89人
 

会長挨拶:小林 会長
本日はお忙しい中ご来場頂き誠に有難うございます。日頃生徒達が授業で学んでおります礼拝を、保護者の皆様に体験して頂きたく開催をしております。本日は第一部クリスマス礼拝、第2部はクラブ活動報告とクワイヤー・ジャズ研究会によるミニコンサートがございますので、是非最後までお付き合いの程、宜しくお願い致します。

校長挨拶:村上 校長
皆様こんにちは。セントポール会の皆様方には、学校にいつもご協力を頂きまして本当に有難うございます。皆様とこうして集まってクリスマス礼拝が出来る事に感謝したいと思います。最後まで心を合わせて礼拝を捧げたいと思います。宜しくお願い致します。
 
 

司 式 : ベレク チャプレン
聖書朗読: 伊藤美和さん(高校3年生)
田中たくみさん(高校2年生)
中嶋恵実さん(高校1年生)

 
奨 励:金山 チャプレン
本日は立教新座中学校・高等学校聖パウロ礼拝堂によくお越しくださいました。チャプレンの金山です。いつも、ご子息たちには、朝のチャペルアワーなどを通して、聖書やキリスト教についてのお話をさせていただいております。特にこの季節にはクリスマスについてのお話をする機会が与えられておりますので、今日は、そもそもクリスマスとは何かと言うことからお話したいと思います。日本では、クリスマスよりクリスマス・イヴの方が盛大に祝われていますが、本来はクリスマス・イヴとは「降誕祭前夕」のことで、イエス様が生きておられた時代のユダヤ人たち、イエス様もそのお一人です。その人たちは現代のイスラエルとその周辺のパレスチナと呼ばれる地域にいたとされるのですが、このユダヤ人たちの信じていたユダヤ教の暦というか、時間の概念をまず知らねばなりません。彼らは、一日が朝の日の出から夕方までを一日とするという数え方、これはキリスト教と同じユダヤ教由来のイスラム教ではラマダン(断食)の時期の定め方などの風習などに今でも見ることができます。一方で午前零時に一日が変わるという西欧の一般的時間の感覚でいえば、日が沈んで、午前零時を迎えるまでに空白ができるわけです。ここに空白の数時間が出来るわけで、ここがイブのイブたるゆえんです。
そして、本当のクリスマスとは、このチャペルでも行われていますが、イブの夜11時からはじまり、午前零時をまたぐ礼拝、これこそ、本物のキリストの礼拝=クリスマスなわけです。クリスマスのクリスとはお察しいただけるように、キリスト(Christ:クライスト)であり、ラテン語のミサ(礼拝)に由来するマス(mass)なわけですから、この深夜の礼拝のまさにクライマックスに午前零時を迎えてここにクリスマスが宣言されるわけです。まさに、先ほどのルカ福音書2章14節の天使たちの賛美「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」という声が礼拝堂に聖歌となって響き渡ります。このように、クリスマスには平和という言葉があいふさわしいように思われます。
「平和」とは、普通、「戦争のない状態」であるともいえます。例えば、国と国、民族と民族の利害が衝突した時、武力を用いないで解決することを平和的解決と言いますし、そもそも、そういう衝突や対立がない状態がより良い意味での平和でもあります。こうした世界平和というような問題も、今の日本にいる私たちにとっても重く圧し掛かっている問題です。
しかし、国や社会が平和であれば、つねに感謝の気持ちと喜びをもってイエス様のご誕生をお祝い出来るかと言うと、必ずしもそうではないようです。というのは、どんなに豊かで争いが無くとも、心がイエス様以外のものに向いていたら、それは本当のクリスマスのお祝いではなく、そこにはクリスマスの平和はないからです。
別の言い方をすれば国や社会が平和ではなかったとしても、心がしっかりイエス様に向いているならば、可能な仕方でお祝いをすることが出来ます。ルカ福音書では、天使の大軍が夜空に現れて「地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美の言葉を述べました。この、イエス様の誕生に結びつく平和、クリスマスの平和とはどんな平和なのか?これから、このことを見ていきたいと思います。
私たちの日本は幸いこの数十年の間、戦争というような状態には鳴らずに済んでいます。しかしこの世が与える平和とイエス様が与える平和の間には大きな違いがあります。この世が与える平和とは、不穏がもたらした害悪が取り除かれること、例えば国と国との対立が武力使うことなく外交で解決できるとかがそれです。それとは反対にイエス様が与える平和とは、外面上は不幸が続いてもあるものです。例えば、敵、病気、貧困、罪、死、こうした闇はいつも私たちを包囲しています。しかしながら、希望の光であるイエス様は、私たちの内面、心の中に励ましと平和をしっかり持つように、と励ましてくださっている。これがイエス様の与える平和です。
では、一体誰がこのような平和を持てるのでしょうか?先ほどのルカ福音書2章14節の天使たちの賛美を思い出しましょう。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
これは、不思議な言葉です。何か詩のような言葉にも聞こえます。この天使たちの賛美の文句は2つのパートから出来ています。まず初めの部分は、神の栄光について言い、次は平和についてです。「いと高きところには栄光、神にあれ」の「いと高きところ」とは、神がおられる天上そのものを指します。「神にあれ」ですが、そもそも天上の栄光というものは、天使たちが「あれ」と願わなくても、もともと神にあるものなので、「あれ」と訳すより、「ある」とすべきかもしれません。従って、ここは「栄光はいと高き天上の神にある」というのが正確でしょう。「地には平和、御心に適う人にあれ。」地上の平和は、天使たちが「あれ」と願ってもいいのかもしれません。ここで「御心に適う人」と言うのは、「神の御心に適う人」です。「平和」は、先ほども申しましたように、神と人間を究極的に和解させてくださった仲介者としてのイエス様という希望の光を心にともす人々のことでしょう。そして、この平和は、外的な平和が失われた時であろうが、また人生の中で困難や苦難に遭遇しようが、失われることのない平和です。そういうわけで、天使たちは、栄光が天上の神にあるのと同じくらい、平和もイエス様を受け入れる者にはある、だから、出来るだけ多くの人が希望の光であるイエス様を受け入れて、この平和を持てますように、と願っているのです。皆さんの心にも今日この希望の光がともりました、どうぞ皆さんの心に平和を持つことができますように。そして、その光をリレーのように、家族や社会、地域において賛美に包まれた光へと広げてゆくことが出来ますように。人の思いを超えた、神の平安が私たちの心と思いとをお護りくださいますように。主イエス・キリストよってお祈りいたします。
アーメン


 
 
第2部 クリスマスコンサートについては 「クリスマスコンサート」のページをご覧ください。