2018年6月2日(土) チャペルアワー

第1部:礼拝 14:00〜14:40

会場:立教学院聖パウロ礼拝堂(立教新座チャペル)
司会:神津大介 副会長
出席者:41名

挨拶:小林 哲 会長

皆さま、本日はご多用のなかセントポール会チャペルアワーにご参加くださいまして有難うございます。このチャペルアワーは日頃子どもたちが行っております礼拝を保護者の方にも体験していただくという事で、毎年行っております。礼拝終了後には、学友会の生徒たちの活動報告とJAZZ研究会のミニコンサートを行います。生徒たちの素晴らしい演奏をチャペルの雰囲気の中でお楽しみください。それでは、最後まで宜しくお願い致します。

挨拶:村上和夫 校長

本日はお集まりいただき有り難うございました。また、日頃の活動にご協力いただき有難うございます。小林会長からありました通り、私たちの日ごろチャペルアワーを体験していただきます。私は48年前にここを卒業しましたが、何も変わっていません。この変わらないことが、実は礼拝のいいところでございます。今月、同窓会がありますがメインの行事はこの礼拝です。礼拝が変わらないこと、それを通じて私たちは自分を振り返る、ということは、生徒たちにはまだわからなくても、やがて大人になって同窓会に来るとその価値その有難さがわかるようになります。これが真のキリスト教の教育だと思います。それでは最後までよろしくお願いします。

司式:ベレク・スミス チャプレン
パイプオルガン奏者:永瀬真紀 先生
聖書朗読:ルカによる福音書10章25節~37節 高校3年学年委員長 伊藤美和さん

奨励:金山チャプレン

本日はセントポール会主催の立教新座中学校・高等学校のチャペルアワーにお越しくださいまして有難うございます。私は、この立教新座聖パウロ礼拝堂のチャプレンの金山昭夫と申します。着任して3年目になりますので、何度かこのチャペルアワー等でこの礼拝堂でお会いした方もおられると思いますが、初めての方もおられるかと思いますので、まずこの礼拝堂について少しお話をさせて下さい。よく、礼拝堂(チャペル)と教会(チャーチ)の違いについて尋ねられることが多いのですが、チャペルも教会もどなたがいらっしゃっても良い点や聖職者(チャプレン・牧師)がいて礼拝を行う点は同じなのですが、学校や病院、福祉施設、少し変わったところでは海外では軍隊にもチャペルがあり、そこにいる聖職者であるチャプレンがいたりします。いずれにせよ施設に付属することから、チャペルでの礼拝は通常の教会とは違う点もあります。例えば、学校であれば、学生や教職員を対象にした「チャペルアワー」があります。
今日は、皆さんのご子息がいつも参加している「チャペルアワー」を御体験いただきたいということでこのような時を持たせていただきました。この礼拝では毎月テーマを決めて、それに関係する聖書の箇所を読み、チャプレンからお話をさせていただきます。例えば、来月であれば、「キリスト教と人権」という観点からチャペルアワーが構成されていますが、本日は特別キリスト教教育の中心である「隣人愛」というテーマを取り上げさせていただきます。
 さて、まずは、この礼拝堂からご説明させていただきたいと思いますが、有名な現代建築の大家である、レーモンドが1963年に「立教高校聖パウロ礼拝堂」として建築されました。初めてご覧になった方は、不思議な形だと思われたかもしれません。独特な外観を持つこの礼拝堂には、建築家としてのレーモンドの強い意欲がつぎ込まれました。モチーフは、礼拝堂を「ノアの箱舟を模したもの」として、祭壇正面の内装や窓のガラスなどには海を思わせる青が使われており、2014年から使用されているパイプオルガンも珍しい青の塗装がなされています。窓は全部コンクリートに直接埋め込まれた色グラスで、原色をまばらに散らせてありますが、その意匠はレーモンドの妻のノエミによって施工されました。アーチ型の中に左右対称に埋め込まれた色ガラスのデザインは彼女によるものです。しかし、彼女は「人間のすることに完璧はない」という思いを込めて、一カ所だけ、ガラスの埋め込む場所を非対称にしました。入学オリエンテーションで新入生には、「この違いを探してみてください」と話しますが、すぐにわかる生徒もいれば、卒業直前に「やっと、わかりました!」という生徒もいます。
さて、今日、読まれました聖書の箇所は「善きサマリア人」という有名な話ですからどこかで聞かれた方もおられるかもしれません。しかし、このサマリア人ってどこの国の人?ということがわかる方は少ないと思います。クリスチャンでない方からすると聖書は西欧のものという先入観があると思いますが、聖書の舞台のほとんど、特にイエス様に関する部分は、現在、大変な戦争の起きているシリアの南、地図で言えば下側にあたる地域での出来事です。この、サマリアという地方はイエスの出身地であるガリラヤ地方と首都であるエルサレムの間に位置しており、元々はユダヤの一部だったのですが、紀元前722年にアッシリアに占領されたときの分割統治によって、占領国アッシリアが入植させた人と元々のユダヤ人が住むことになり、当然、その間で混血が生じることになりました。そこで、血統を重んじる生来の正統派ユダヤ人たちからは徹底的に忌み嫌われていた存在です。
一方で、祭司とレビ人というのは当時エルサレム神殿で宗教的祭儀にあたっていました。レビ人は祭司の補佐的な役割を果たしていた。
この譬えですが、おそらくイエスさまの時代にはこれと同じような事が実際あったのだと思われます。強盗も強盗に襲われた旅人も、祭司もレビ人も、一人のサマリア人以外はユダヤ人です。エルサレムからエリコに下ってゆく道はくねくねと曲がりくねっていて見通しが悪く、しばしば追い剥ぎが出没しました。祭司とレビ人はいずれも宗教家ですから、律法を厳密に守らなければならない立場にありました。エリコは「祭司の町」とも呼ばれ、祭司たちの住居がありました。彼らだっておそらく追い剥ぎに襲われた旅人を見て気の毒に思ったに違いありません。しかし彼らは、宗教的理由から、その傷ついた旅人を助けなかった。旧約聖書の律法には汚れたものに近寄ってはならないとあるからです。血を流しているものや死体などには近寄ってはならなかった。近寄ると一定の清めの期間は汚れてしまい宗教的な義務を果たすことができなってしまうと考えたのです。彼らはこのような理由から、二人とも一番遠い「道の向こう側を通って行った」のです。
そのように見てまいりますと、ここでは旧約聖書の律法を守ることと隣人を愛することが切り離されていることが分かります。律法遵守が優先されている。神を愛するということ(垂直方向における愛)と隣人を愛するということ(水平方向における愛)が分離されている。イエスさまはそこを問題とするのです。もちろん、最も大切なのは隣人愛であり、新約聖書では、イエス様は、この隣人愛の究極の実践としてこう教えます。『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。』(ヨハネによる福音書15:13)、この教えに殉じて、隣人愛の実践として自らの命を差し出した宣教師やクリスチャンたちの働きがあってこそ、人口ではわずか1%に満たないにもかかわらず、キリスト教、わけても教育分野においての信頼を得ることができているのだと思います。暴走する機関車にたまたま乗客として乗ったクリスチャンの機関士がなんとか止めようとしてスピードを落とすことができたけれども最後のところで峠にさしかかってしまい自分の身を挺して乗客の命を救った実話や、青函連絡船「洞爺丸」事故の時に自分の救命胴衣を日本人の若者に渡して亡くなった宣教師のことを三浦綾子さんというクリスチャン作家が小説にしておられます。図書館にもありますので、お読みいただければ、キリスト教における隣人愛というものがどのようなものかという事をおわかりいただけると思います。特に前者の「塩狩峠」は映画にもなり、私もこの映画を見てクリスチャンに興味がわき、三浦さんの小説と出会ってクリスチャンになろうと決心した思い出の深い作品です。
学生たちにも、折に触れてこうしたお話をしているのですが、時には、彼らにどう伝わっているのか不安になることもあります。しかし、あるときこういうお話を聞きました。
非常にまじめで優秀なある学生が、珍しく遅刻をしてきた、それもずいぶん遅れてきたというのです。理由を聞くと、「駅でお年寄りが、ご自分の行く場所がわからなくなり困っておられたので、その場所まで案内して連れていってあげた」というのです。後ほど、その方からも学校にお礼の連絡があったそうですが、こうした話を聞くとき、チャプレンとしては一番うれしい気持ちになります。学校の規則である登校時刻はもちろん守らなくてはなりません。しかし、それらの規則や決まりよりも大切なことがあるということが伝わっていたことに感心しました。隣人愛とは、時には自分の不利益を顧みずに他者のために行動することができることであり、彼はまさにそれを体現したのです。
彼だけでなく、この立教新座中学校・高等学校の生徒たちはそのことをよく理解しています。時には、元気が良すぎて、羽目を外すようなこともありますけれども、その本質は本当に他者への思いやりにあふれた素晴らしい生徒たちです。
保護者の皆様には、このような素晴らしいご子息を私たちの学校に送ってくださったことを心から感謝致します。

父と子と聖霊の御名によって アーメン

聖歌516番 「主の招く声が」
聖歌308番 「賛美する喜びと」
聖歌407番 「み神よ恵みを」

第2部:立教新座高等学校 JAZZ研究会によるミニコンサート 14:55〜15:45

司会:神津 副会長
挨拶:部活動顧問
部活活動報告司会:学友会 中央執行委員会 総務局 高3 亀山くん
部活活動報告:高校空手道部、高校化学部

2018年10月13日(土) 14:00〜15:30

会場:立教大学新座キャンパスN8B1教室(ライブビューイング会場N852教室、N854教室)
講師:長嶋一茂さん、宇賀なつみさん
参加者:N8B1教室 中学校250名、高校133名/ライブビューイング会場 中学校35名、高校88名

司会:神津副会長

お祈り:金山チャプレン

挨拶:セントポール会 小林会長

本日はご多用のなか、セントポール会主催の講演会にご参加くださいまして、誠にありがとうございます。初めに、今回の講演会につきまして、我々の想定をはるかに超えるお申し込みをいただきまして、もろもろの変更事項、また至らぬ点がございましたことをこの場をお借りしましてお詫び申し上げます。また、会場のご対応をいただきました学校関係のみなさま、本当にありがとうございます。
さて本日の講演会でございますが、毎日テレビでは見ない日がないというほど多忙にしていらっしゃいます長嶋一茂さんをお迎えいたしました。言わずと知れた本校のOBでいらっしゃいます。このような講演会をお引き受けくださるのも今回が初めてということでございまして、非常にうれしく思っております。また、今回のテーマは本当にテーマが決まっていないということで、これからお二人にお話しいただくことが非常に楽しみでございます。いかにも自由で一茂さんらしいスタイルではないかと思っております。進行にはテレビ朝日の看板アナウンサーであります好感度NO.1の宇賀なつみさんにお願いいたしました。お二人は番組で毎週、共演されておりますので、息の合ったトークが聞けるのではないかと楽しみにしております。それでは短い時間ではございますがお楽しみいただければと思います。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

挨拶:村上校長先生

みなさん、こんにちは。 私もここの卒業生ですが、ここの学校の卒業生は本当に幅広く様々な分野で活躍しております。その中でも長嶋一茂さんの学年の卒業生には、あの人も、この人もという形で街でも会うし、産業界でも会うし、さらに長嶋さんのようにだれもが知っているような人たちを生んだ特筆すべき学年でもございます。長嶋さんの話を聞いていただきますと、たぶん、私共の学校がどういう風に人を育てようとしているのか、またそれがどういう風に人生で花を開くのかというのを感じていただけると思います。今日は長嶋さんに講演を引き受けていただきまして、本当にありがとうございました。それではみなさまどうぞお楽しみいただきたいと思います。ありがとうございました。

講演内容:長嶋一茂さん、宇賀なつみさん

宇賀さん:本日はみなさまたくさんお集まりいただきありがとうございます。今、この会場以外の2会場にご挨拶をしてきました。今日は打ち合わせなしで本当に「テーマなし」で自由にやらせていただきます。
本日、進行役として呼んでいただきました、テレビ朝日アナウンサーの宇賀なつみと申します。今、「羽鳥慎一モーニングショー」という平日朝8時から10時までの2時間の番組で一茂さんと共演させていただいております。立教大学出身で、大先輩の一茂さんとのお仕事をいただき本当に光栄で、母校や後輩たちに少しでも何か恩返しできればと思ってやってきました。

長嶋さん:私はしゃべれるような立場でもないし、この間ノーベル賞を取った本庶さんのようにテーマが決まっているわけでもないのですが、私は来年53歳になり、いままで図々しく生きてきて、人間というのは図々しく生きていくものだし、したたかに生きていくものだと私は思っているので、学校の先生が言わないようなこと、対極のようなことを言う可能性があるかもしれません。
今日は、本当にテーマがないので私自身の生い立ちを話します。せっかく久しぶりにここに来たとはいってもこの間、夏に徳光和夫さんと番組の収録で来て、懐かしいと思いました。私は高校と大学が寮で、この敷地内に7年間いました。その時は冷暖房も何も付いていませんでした。高校の頃はチャペルに毎朝、先輩たちを抜いてダッシュでお祈りに来ていました。お祈りと感謝は大事です。
高校3年間、寮にいて、寮の食事が3回出るのですが、僕は1日7食、食べていました。寮のご飯を朝に食べて、高校に出てきて1限目が終わったら菓子パンを食べて、2時限目が終わったらおにぎり、昼休みに寮でランチを食べて、練習前に食べて、寮で夕食を食べて、夕食後のコンプリンの後に門限はあったのですが抜け出して食べていました。コンプリンとはお祈りです。7食食べないと野球が出来ないのです。ですので、授業中はずっと寝ていました。怒った先生がいないのはやっぱり、野球で自分がこの立教高校に還元しろ、という暗黙のお互いの共有感があったと勝手に私の都合でそう思っています。
私の高校時代の恩師は、今はいらっしゃらないのですが、柔道の先生です。1964年の東京オリンピックの時、当時は柔道が無差別で、体が60Kg台で大きくないのに全日本の候補に入っていたぐらいむちゃくちゃ強い方なのですが、その先生にはかなり厳しく指導を受けました。今はパワハラとかありますが、でも私はその先生に対してものすごく恩義がありますし、「ずっと寝ていては、ほかの先生方にも示しがつかないだろう」「野球部だからそれでいいのか」と唯一私のことを怒ってくれたその先生でした。その先生と私はいまだに年に1、2回は食事をしていて、「先生ありがとうございます」と思います。それは愛情があったからです。
私はこの講演会のように初めてお会いする方から刺激をもらって、自分の生きる糧にしています。
私はもう老後に入っています。もう5年ほど前に終活を終えています。老後っていろんな考え方があると思いますが、明日どうなってもいいという自分を5年ほど前に作ったのです。だから今、好き勝手なことを言っています。

宇賀さん:どうやってそういう自分を作ったのですか?

長嶋さん:私が野球を引退したのが30歳です。私は戦力外通告をおやじからされて、明日どうなるか分からない、という世界になったのです。小学校からずっと野球をやってきた人間が、バットとグローブを取られるのは、子どもがおもちゃを取られるみたいな感じです。お金の話になりますが、ドラフトで高額な契約金をいただき年俸も相当額いただいておりました。そのもらっていた年俸が明日からなくなるとなったときに「不安定な世界なのだ」と思って、じゃあ私は何をして稼ごうかと考えたのです。マンションも見栄を張って家賃の高いところを借りていたし、年俸より高いポルシェに乗っていましたし。
私の同級で山本昌という左のピッチャーがいて、2~3年前まで現役でしたが、私も本当は自分の夢とかビジョンは、野球をずっとやってどこかの監督をやることでしたが、それを22年前に絶たれました。
でも、明石家さんまさんからのお誘いがあり、当時、さんまさんが抱えていたレギュラーがたくさんあり、そこからお仕事をいただきました。週に1~2回さんまさんと番組で会いました。そういう縁があり、自分には今の世界しかないと思えるようになりました。やっぱり、野球をやめた時の恐怖感があり、少なくとも二人の娘たちが成人するまで、蓄財、財産で今の世界から絶たれても生活できるというのを確立、成立させたのが5年ほど前です。だから、そこからは老後なのです。そこからはすべて遊び。テレビ局での最初の打ち合わせでは、「とにかく私を楽しませてください。私は楽しまなきゃいけないのです」というところから始めます。 若い子たちには夢や期待、ビジョンがあると思うのだけど、私は一切ないです。感謝しかないです。
宇賀さんを含め、みなさまとお会いすることに毎日感謝します。常に感謝です。明日、生きていられるという確約はないので、だから常に『今』なんです。今、どうやって生きていくか、ではなく、どう楽しむか。その繰り返しを1秒ごとやっていると言っても過言ではないです。だから今を楽しみたいです。

宇賀さん:でもやっぱりみなさん、私もそうですが、過去を振り返って悩んだり、将来が心配になったりとか、それこそ不安でお金が使えないとか、みんなそう思いますよね?

長嶋さん:若いうちに不安とか悩みがあるのは当たり前。私もすごくあったし。だから30歳で野球をやめたときに不安、悩みがたくさんありました。野球をやるときは、例えば落合さん、原さん、もっと上をいくと王さんやうちのおやじとか目標の人たちがいたけど、この世界には目標の人はいないし、憧れの人はいないわけです。さんまさんは恩人で師匠ですが、あんなすごい人は目標にできないです。

宇賀さん:確かに、一茂さんは唯一無二のポジションですよね。

長嶋さん:だから目標がいないわけです。自分はこの世界で5年経っても目標が見つからない、10年15年20年、いまだに何の目標も見つからない、これから見つかるわけがないと思っています。
私の希望とか夢は5年ほど前に45歳くらいで全部かなえました。プロ野球選手になるという夢、ドラマ・映画の主役をやる夢。なぜドラマの主役が夢なのかというと、小学校の1年生の学芸会での役が馬の脚で、顔も出ないし、セリフもなく、さらに、5本目6本目の脚でした。それを見たいつもは気丈な母が、すごく寂しそうな顔をしていたのを見て、ドラマや映画で主役をやればおふくろの寂しさを少しでも払しょくできるのではないかと思ったのです。
また、中学ぐらいに『ロッキー』という映画が流行りました。それを見たらすごく感動して「ロッキーになる」と言って、まず帰りの東横線のつり革で懸垂をやりました。次の日、学校へ行って机を8つぐらい集めてその上で片手腕立て伏せをしていました。シルベスター・スタローンは『ロッキー』の脚本を自分で書き、その脚本を映画会社に売り込みに行き、自分を主役にしないと脚本は渡せないと言って主役を勝ち取ったというエピソードを知って、そのときに映画を作りたいと思い、映画を2本作りました。
だから、夢は45歳ぐらいで全部かなえたので、今はないです。あとは老後をどう楽しむかです。後悔はないので、毎日感謝して、いつ死んでもいいように死の瞑想をしています。夜寝るときは、神様とおふくろにも感謝して、「ありがとうございます、明日もし目が覚めたらがんばります」と言います。朝、目が覚めたら感謝して「ありがとうございます、今日も起きられました。死にます」と死ぬ瞑想をします。死ぬ瞑想は具体的にイメージします。今日もベンガルトラに殺されました。トラは強いので、一発で僕の頸動脈をバチっと切り裂きます。動脈から血が出てきて、一気に失神します。そのあとトラが僕の五体をバラバラにして私はたっぷり死にます。それをだいたい2分ぐらいの間にやります。そうすると本当に自分の中で死んだ感覚になりますので、そこから起き上がると「あ、今日も生きているのだ」とこの感謝が素晴らしいのです。夜はお風呂に入って、真っ暗にして潜水します。息が切れそうになるまで、自分の生命の危機を感じるところまで、潜水します。そうすると「あぁ、俺はまだ生きている。ありがとう」となります。常に感謝です。それを4~5年前からやっています。

宇賀さん:折角ですので、何か聞きたいことはありますか? あ、今、手が挙がりましたね。こういう時に手を挙げるのは大事です。

長嶋さん:こういう時に手を挙げる人は日本では少ないです。そういう教育をしていないんです。日本の教育は横並び主義です。出る杭は打たれる、出ちゃいけないという教育だけど、打たれる杭になる人もいないと、突出した人もいないといびつな社会になるのでそういうことは恐れないで。みんながみんな同じ方向を向くのは民主主義の国家に生まれて残念なことなので。

質問者1:長嶋さんがプロをやっていた時のことを聞きたいです。

長嶋さん:君がもし野球選手になりたいとか、監督になりたいのなら、自分の思った信念で動かないとダメです。周りから言われて相談して「そうします」というのをずっとやっていると、自分がグラウンドに立った時、自分が0.1秒で決断しなくちゃいけない時にそれができなくなるので、自分で判断、決断を瞬時にできる子になってほしいです。このためには、経験をたくさんするのがいいと思います。

質問者2:今、大学4年で、来年留学でシドニーに行くので、アドバイスをください。

長嶋さん:情報はもういらないから、自分で感じないと、五感で。そこから何かひらめくものがあるかもしれないし、カルチャーショックとかインスパイアされることがあると思うよ。そのためには常に行動すること。留学に行っても、部屋の中にいてはしょうがない。自分で行動をおこして、いろんなことを感じて、いろんな人とふれあって、刺激はたくさんあるよ。あと、語学は絶対に覚えてきた方がいい。英語を喋れるのは大人になってもずっと武器になります。

長嶋さん:今日は私の老後に付き合っていただきありがとうございました。

2018年10月27日(土)・28日(日) S.P.F. バザー

2018年12月15日(土) クリスマス礼拝

会場:立教学院聖パウロ礼拝堂(立教新座チャペル)

第1部 クリスマス礼拝 15:00〜15:50

司会:神津 副会長
受付:学年委員長 伊藤、田中、中嶋、鈴木(真)、金子、水野
出席者:89人

会長挨拶:小林 会長

本日はお忙しい中ご来場頂き誠に有難うございます。日頃生徒達が授業で学んでおります礼拝を、保護者の皆様に体験して頂きたく開催をしております。本日は第一部クリスマス礼拝、第2部はクラブ活動報告とクワイヤー・ジャズ研究会によるミニコンサートがございますので、是非最後までお付き合いの程、宜しくお願い致します。

校長挨拶:村上 校長

皆様こんにちは。セントポール会の皆様方には、学校にいつもご協力を頂きまして本当に有難うございます。皆様とこうして集まってクリスマス礼拝が出来る事に感謝したいと思います。最後まで心を合わせて礼拝を捧げたいと思います。宜しくお願い致します。

司式:ベレク チャプレン
聖書朗読:
伊藤美和さん(高校3年生)
田中たくみさん(高校2年生)
中嶋恵実さん(高校1年生)

奨励:金山 チャプレン

本日は立教新座中学校・高等学校聖パウロ礼拝堂によくお越しくださいました。チャプレンの金山です。いつも、ご子息たちには、朝のチャペルアワーなどを通して、聖書やキリスト教についてのお話をさせていただいております。特にこの季節にはクリスマスについてのお話をする機会が与えられておりますので、今日は、そもそもクリスマスとは何かと言うことからお話したいと思います。日本では、クリスマスよりクリスマス・イヴの方が盛大に祝われていますが、本来はクリスマス・イヴとは「降誕祭前夕」のことで、イエス様が生きておられた時代のユダヤ人たち、イエス様もそのお一人です。その人たちは現代のイスラエルとその周辺のパレスチナと呼ばれる地域にいたとされるのですが、このユダヤ人たちの信じていたユダヤ教の暦というか、時間の概念をまず知らねばなりません。彼らは、一日が朝の日の出から夕方までを一日とするという数え方、これはキリスト教と同じユダヤ教由来のイスラム教ではラマダン(断食)の時期の定め方などの風習などに今でも見ることができます。一方で午前零時に一日が変わるという西欧の一般的時間の感覚でいえば、日が沈んで、午前零時を迎えるまでに空白ができるわけです。ここに空白の数時間が出来るわけで、ここがイブのイブたるゆえんです。
そして、本当のクリスマスとは、このチャペルでも行われていますが、イブの夜11時からはじまり、午前零時をまたぐ礼拝、これこそ、本物のキリストの礼拝=クリスマスなわけです。クリスマスのクリスとはお察しいただけるように、キリスト(Christ:クライスト)であり、ラテン語のミサ(礼拝)に由来するマス(mass)なわけですから、この深夜の礼拝のまさにクライマックスに午前零時を迎えてここにクリスマスが宣言されるわけです。まさに、先ほどのルカ福音書2章14節の天使たちの賛美「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」という声が礼拝堂に聖歌となって響き渡ります。このように、クリスマスには平和という言葉があいふさわしいように思われます。
「平和」とは、普通、「戦争のない状態」であるともいえます。例えば、国と国、民族と民族の利害が衝突した時、武力を用いないで解決することを平和的解決と言いますし、そもそも、そういう衝突や対立がない状態がより良い意味での平和でもあります。こうした世界平和というような問題も、今の日本にいる私たちにとっても重く圧し掛かっている問題です。
しかし、国や社会が平和であれば、つねに感謝の気持ちと喜びをもってイエス様のご誕生をお祝い出来るかと言うと、必ずしもそうではないようです。というのは、どんなに豊かで争いが無くとも、心がイエス様以外のものに向いていたら、それは本当のクリスマスのお祝いではなく、そこにはクリスマスの平和はないからです。
別の言い方をすれば国や社会が平和ではなかったとしても、心がしっかりイエス様に向いているならば、可能な仕方でお祝いをすることが出来ます。ルカ福音書では、天使の大軍が夜空に現れて「地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美の言葉を述べました。この、イエス様の誕生に結びつく平和、クリスマスの平和とはどんな平和なのか?これから、このことを見ていきたいと思います。
私たちの日本は幸いこの数十年の間、戦争というような状態には鳴らずに済んでいます。しかしこの世が与える平和とイエス様が与える平和の間には大きな違いがあります。この世が与える平和とは、不穏がもたらした害悪が取り除かれること、例えば国と国との対立が武力使うことなく外交で解決できるとかがそれです。それとは反対にイエス様が与える平和とは、外面上は不幸が続いてもあるものです。例えば、敵、病気、貧困、罪、死、こうした闇はいつも私たちを包囲しています。しかしながら、希望の光であるイエス様は、私たちの内面、心の中に励ましと平和をしっかり持つように、と励ましてくださっている。これがイエス様の与える平和です。
では、一体誰がこのような平和を持てるのでしょうか?先ほどのルカ福音書2章14節の天使たちの賛美を思い出しましょう。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
これは、不思議な言葉です。何か詩のような言葉にも聞こえます。この天使たちの賛美の文句は2つのパートから出来ています。まず初めの部分は、神の栄光について言い、次は平和についてです。「いと高きところには栄光、神にあれ」の「いと高きところ」とは、神がおられる天上そのものを指します。「神にあれ」ですが、そもそも天上の栄光というものは、天使たちが「あれ」と願わなくても、もともと神にあるものなので、「あれ」と訳すより、「ある」とすべきかもしれません。従って、ここは「栄光はいと高き天上の神にある」というのが正確でしょう。「地には平和、御心に適う人にあれ。」地上の平和は、天使たちが「あれ」と願ってもいいのかもしれません。ここで「御心に適う人」と言うのは、「神の御心に適う人」です。「平和」は、先ほども申しましたように、神と人間を究極的に和解させてくださった仲介者としてのイエス様という希望の光を心にともす人々のことでしょう。そして、この平和は、外的な平和が失われた時であろうが、また人生の中で困難や苦難に遭遇しようが、失われることのない平和です。そういうわけで、天使たちは、栄光が天上の神にあるのと同じくらい、平和もイエス様を受け入れる者にはある、だから、出来るだけ多くの人が希望の光であるイエス様を受け入れて、この平和を持てますように、と願っているのです。皆さんの心にも今日この希望の光がともりました、どうぞ皆さんの心に平和を持つことができますように。そして、その光をリレーのように、家族や社会、地域において賛美に包まれた光へと広げてゆくことが出来ますように。人の思いを超えた、神の平安が私たちの心と思いとをお護りくださいますように。主イエス・キリストよってお祈りいたします。
アーメン

第2部 クリスマスコンサート 16:00〜17:00

1. クラブ活動報告

音楽部

関東大会に出場。結果として、ベストパフォーマンス賞、準グランプリを獲得した。これからは、色々なライブに出場をしていきたいと思っています。

サッカー部

今年度55年ぶり関東大会に出場し、大きな結果を残す事ができた。インターハイでは、 県3位、選手権予選では、2回戦敗退したが、チームとして成長できた。来年はサッカー場が全面人工芝化され、より良いレベルでプレーが出来ると思う。感謝の心を忘れずプレーをしたい。

フェンシング部

先月、高校県大会で2大会優勝する事ができた。それにより、1月の関東大会にも参加できる。夏の全国中学選手権大会で個人戦ベスト8、そのうち2人が準決勝まで残れた。団体戦では3位になった。これから、日々練習をするので応援宜しくお願い致します。

ラグビー部

2019年はワールドカップが行われる。47年ぶりの県大会ベスト4に進出。しかし、新人戦、関東予選は深谷高校に敗退。花園予選でも準決勝で昌平高校に敗れた。今年の3年生のためにも、上を目指してがんばっていきたい。応援宜しくお願い致します。

2. クワイヤー、ジャズ研究会 コンサート

ジャズ研究会 題目

  1. You will be soul
  2. オリジナル曲
  3. ホワイトクリスマス
  4. spain